「ケア」ってなんや? 〜大学院の学びから〜
大学院で「ケア論」を履修しています。(必須科目)
特別支援学校に勤めていたこともあり、「ケア」については興味があったため、毎回の授業が楽しみです。
ケアは「負担」か?
企業を支援させてもらっていると、障がいのある社員の受け入れの際
「どれくらい『ケア』をすればいいのか?」
という声を聞くことがあります。
「職場でできる限り支援していきたい」という前向きな言葉だとは思いますが、文脈によっては「負担になるのではないか」という警戒のニュアンスに感じることもあります。
(単に僕の性格が悪いからでしょうか…)
確かに「ケア」には、「負担感」というイメージもありますが、「ケア」することによる「達成感」もあります。
また、他者へのケアが一般的なイメージですが、「自分自身」を「ケア」することもあります(「セルフケア」と言う言葉もありますよね)
そもそも、ではそもそも「ケア」ってなんなのでしょうか?
ケアとは?
「ケア」の語源は、
・ゲルマン語の「Karo(カーロー)」_悲しみ
・ラテン語の「cura(クーラ)」_気がかり、世話
意味は
他者の基本的なニーズ(それなしには誰も生きていけないようなニーズ)に応えること(Kittay,Eva Fender.1999)
一方で、「サポート」の語源は
ラテン語の「下から運ぶ(sub+portare)」_支える・持ち上げる
意味は
「目的達成のための支援」
といったものだそうです。
ちなみに「ソーシャルサポート」の定義は
「特定個人が,特定の時点で,彼/彼女と関係を有している他者から得ている,有形/無形の諸種の援助」(南ら,1988)です。
「サポート」もニーズに応えるものですが「ケア」の差異として、「基本的なニーズ」か「目的達成のためのニーズ」かといった性質の違いがあるようです。
「ケア」を要していない人が、1番「依存」している
そして今回1番刺さったのは、
「「ケア」の必要のない人が、1番世の中に「依存」している」
という言葉でした。
プライベートを削って仕事に専念できるのも、寝食を忘れて何かに没頭できるのも、
家事、食事、掃除をケアしてくれる誰かがいてくれるからであり、
「I don’t care」の人ほど、世の中の「ケア」に「依存」している
これは刺さりました。ドキッとしました。
「当事者研究」の第一人者で、ご自身も脳性麻痺の当事者である東大の熊谷晋一郎先生が、あるテレビのインタビューでこんなことをお話になっていました。
「障害者はいろいろなものに頼らないと生きていけない、と多くの人は考えがちですが、本当は、健常者向けにデザインされているおかげで、健常者はその便利さに依存しているに過ぎません」
まとめっぽい話
社会モデル的な視点ですが、誰しもが「ケア」なしでは生きていけていないし、一見すると「ケア」を必要としていないと思われる人(健常者)ほど、「ケア」に依存していると言うのは、衝撃的です。
冒頭の「どれくらい『ケア』をすればいいのか?」と言う言葉にある、「障害者はケアが必要だ」という見方を変えていくには必要な視点だなと感じました。
僕自身も、こうやって仕事ができているのは、妻や家族、公共や民間のさまざまなサービスといった、いろんな「ケア」があるからこそと思いました。
ケアの奥深さについて、今後も学んでいけるのが楽しみです。
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