【コラム】「障害理解」には職場で「自己効力感」を育むのが大事だと思う理由 中編

障がいのある人を「理解する」とは、「障害そのものの理解」と「その人の理解」とがあり、「その人の理解」においては「承認」が必要で、でもそれって難しいですよね、っていう話を前回しました。

ここでいう「承認」とは、「受け容れる」ことだと思います。

あえて、受け「容れる」と書きました。

”うけいれる”には「受け入れる」と「受け容れる」がありますよね。

辞書的な意味は同じです。意味が同じなら表記も同じでいいと思うのですが、なんでか2つの表現があるというのは、なにかしらの意図を感じてしまいます。

あくまで偏屈な広島男児(僕のことです)のイメージですが、

「受け入れる」とは人や物が自分の領域に入ってくる物理的な移動を表し、

「受け容れる」とはもっとなんか心理的なもんで、他者の感情や行動の背景や過去を、自分の中にある容器で受け止めるといった行為を表しているように思います。

職場における「承認」が、障がいのある人を単に「受け入れる」だけではなく、「受け容れる」ことを示しているのであれば、自分の心の「容器」に、障がいのある人の感情、背景、過去などの情報を共存させることになります。

これは、自分の気持ちを押し殺してまで、その人を理解しようと努める、ということではないと思います。

自分は自分、相手は相手であり、「なるほど、こういう考えの人もいるのね。」「こんあ経験をしてきた人がいるなんて、初めて知ったなぁ」という、ありのままを「受け容れる」ことなんだと思います。

そして障がいのある人も、これから関わっていく人たちの考えや感情を「受け容れる」ことが必要です。双方向の「受け容れ」があるのです。

ただ、言うは易し行うは難し、ですよね。

自分の「容器」に空きがないと、「受け容れる」前にこぼれ落ちてしまいます。

どうやって空きを設けるのでしょうか。

手立ての1つが、記事のタイトルにもある「自分ならできる」という気持ちを育むことだと思います。

「自分ならできる」は「自己効力感」と言われたりします。

「自己効力感」が高いと、職場での肯定的な認識や、仕事に対するポジティブな心理状態(ワーク・エンゲイジメント)が高まることも分かっています(図表参照)。

会社において障害者インクルージョンを実践する場合、障がいのある人もない人も「自己効力感」が高まるような環境であれば、「受け容れる」ことも上手くいく可能性があるということです。

じゃあ、どうやって「自己効力感」て高まるの?

っていう話はまた次回にさせてもらいます。

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