「省察的実践家」としての障害者雇用コンサルタント像/文献調べ 25−07

前回の記事では、通常学級での発達障害のある児童生徒への教育者として「省察的実践家」像について触れました。私も元教員ですので「省察的実践」は積み重ねたつもりでしたが、改めて学びたくなり、いくつかの論文からごく簡単ではありますが、整理してみようと思います。
省察的実践とは
ドナルド・ショーン(Donald A. Schön)は、「省察的実践(reflective practice)」の理論において、現場の複雑な課題に取り組んでる現代のプロフェッショナル像を「省察的実践家(reflective practitioner)」と呼びました。
対比されるものとして、科学的知識や技術をうまく問題に適用できる「技術的熟達者(technical expert)」があります。しかし、今日的な「複雑性、不確実性、不安定さ、独自性,価値葛藤という現象を抱 える現実の実践の重要性に気づいてきた」(Schön,1983)ことから、「技術的合理性」モデルはもはや限界に至りました。
そこで「技術的熟達者」に対置する形の、新たな専門家像として「行為の中の省察」に基づく「省察的実践家(reflective practitioner)」が提起されたのです。
2つの省察
ショーンは省察的実践を「行為の中の省察(reflection-in-action)」と「行為についての省察(reflection-on-action)」から特徴づけました。自分がクライエントとの関わり(行為)を振り返ることは「行為の中の省察((reflection in action)」であり、この省察=思考は「状況との対話(conversation with situation)」を通じて行われるとしています。
「行為の中の省察」は
・無意識の身体化された活動
・意識的な活動の両方を含む
ことであり、
「行為についての省察」は、いわゆる
ふりかえり
です。
これは「実践後に振り返ることで、実践の最中には意識しなかった視点や解決方法、実践における自分自身の傾向などに気づき、それらの気づきを次の実践に活かすことができる」(日和,2015)とされています。
実践者の「わざ」を尊ぶ
ショーンは省察の過程を「不確実性,不安定性,独自性, そして価値の葛藤という状況で実践者が対処する アート(わざ)の中心をなすもの」(Schön 1983)と表現しています。
「技術的熟達者」が専門的知識を厳格に定義づける中で、実践者にある「わざ」を排除しようとしているのに対し、「省察的実践家」は、理論や研究と同様に、実践知や直観、暗黙知、わざといった異なる知識の厳選の意義が認められていて、「実践の外部にある知識だけでなく、実践のなかから得られた知識を明らかにしようと奮闘している」(Ruch,2005)と表現もされています。
また、「技術的熟達者」の特徴が「考えたから行動する」とすると、「省察的実践家」は思考と行為を「同時進行的」に行なっているという、特徴付もされています。
「省察的実践」の核心は「その人が実践の文脈における研究者になる」(Schön 1983)ことだと言います。
加藤(2015)によると実践特性を
①「行為の中の省察」による状況との絶え間ない対話と、「行為についての省察」を通した事故との対話が行われること
②不安や経験へのオープンさや探究の姿勢が求められること
③記録を通して省察が促進されること
④省察から新たな知識が創造されること
としています。
所感
私も障害者雇用コンサルティングの実践において「理論と実践の往還」を心がけていますが、その中では専門家としてのいろいろな葛藤があります。根拠(evidence)はあるのか、一般化できるのか、どうやって状況を他者に説明するのか。「わざ」を明確に言語化して伝える責任もあるので、「経験からしてそう思います」とは言い難い状況もあります。
しかし、専門家だからこそ「わざ」として伝えられることもあり、「その人が実践の文脈における研究者になる」なんて言葉は、非常に勇気づけられます。
参考:
スクールソーシャルワークにおける省察的実践の意義(加藤,2015)
プロフェッショナリズムと省察的実践(宮田,2012)
看護教育における省察的実践論(永井,2010)
省察的実践家(reflective practitioner)とは何か(藤沼,2010)
今日の教師教育改革と「省察的実践家」論(木村,2016)
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