〜教育現場の事例から紐解く「合理的配慮」〜メルマガを発行しました/20241226 

定期的にメルマガを発行しております。2024年最後のメルマガを12/26に発行しました。

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【つまり「合理的配慮」は、誰のため、何のためのものなのか】

障害者雇用やDE&I推進担当の方々にとって、2024年は「合理的配慮」という言葉を頻繁に耳にした年だったのではないでしょうか。

釈迦に説法ですが、障害者差別解消法の改正で、2024年4月から雇用以外の分野においても、民間事業者に「合理的配慮」の提供が義務化されました。(雇用の分野においては2016年からすでに義務化されています)

一方で、「合理的配慮」という言葉の硬さからか、企業の現場からは「どこか押し付け感がある」「形式ばった表現で使いづらい」「あえて現場では別の表現を使っている」といった”とっつきにくさ”も聞こえてきます。

2024年最後のメルマガは、私が経験したある出来事をお伝えしながら、「結局は「合理的配慮」って誰の何のためなの?」について、皆さんと一緒に紐解いてみたいと思います。

※今回の記事は「雇用の分野」における「合理的配慮」についてが中心テーマです。

※ちなみに参考までに、「合理的配慮」をカジュアルに解説した拙ブログです。

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※こちらも参考までに、社労士さん向けの機関誌にて、4回に渡りミニコラムを書かせて頂きました。「合理的配慮」についても触れています。

※4月には東大の星加先生と明治ホールディングスの末吉さんと「合理的配慮」について考えさせてもらいました。

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まだ私が小学校教員だった頃の話です。

6年生の私のクラスには、感覚過敏のある子がいました。
(※「感覚過敏」:聴覚や視覚、触覚などの感覚が過剰に敏感なこと。発達障害(自閉スペクトラム症)の人に多いと言われています。ただし、感覚過敏があれば即ち発達障害というわけではありません。)

特に足裏の感覚に敏感で、足裏が地面につかないようになのか、踵が浮いたような立ち方や歩き方をしていました。

その年の運動会で、非常に悩ましい事態に直面しました。
プログラム終盤で最高学年が披露する「組体操」でのことです。

皆さんのお子さんが通われている学校でもそうかもしれませんが、私がいた学校でも、組体操を「裸足」で行うのが慣習でした。そしてこれが問題でした。

私たちも裸足でグラウンドに立つと、足裏に違和感があると思います。いわんや、感覚過敏のある子はなおさらです。違和感なんてものではなく、強い痛みが走ります。
本人も「嫌だ」と言って、靴を脱ぐこともできません。

ここで「組体操は不参加でいいよ。他の競技で頑張って」と言ってしまう事もできたでしょう。しかしそれでは公平性にそぐいませんし、何より、その子の成長機会を奪うような気がしてなりませんでした。

私、管理職、保護者、保健担当、主治医の意見、そして本人と話し合いをする中で、「足袋を履けばできるのでは」という話に至りました。

そして練習で試してみると、やや動きはぎこちないですが、参加できたのです。

そこから皆と練習を重ね、本番も見事に演技をやってのけました。

拍手に包まれる中、親御さんがハンカチで目を覆っていた姿を、今も鮮明に覚えています。


当時はまだ「合理的配慮」なんて言葉はありませんでしたし、このケースを含めた「対応が難しい場面」での考え方・向き合い方は現場任せでした。
「みんな裸足だし、あなただけ特別扱いはできない。不参加でいいよ。」
という言い方も、あり得たでしょう。
しかし「足袋を履く」というちょっとした支援が、その子の参加と場の成立にもつながりました。

この「配慮」は誰のため、なんのためだったのでしょうか?

一義的には感覚過敏のある「本人」が、「参加」という公平な機会を与えられるためということがあります。
同時に、「本人」が本来持っている「力」を発揮するためものものだったとも言えます。

感覚過敏という困りごとへの対応により、「参加」と「能力発揮」が実現したのです。

他方、「周囲の人たち」への良い影響もありました。

みんな裸足の中、1人だけ足袋を履いているのは、はっきり言って滑稽です。
また「俺だって裸足は嫌だ。何か履きたい」と言うこともできたでしょう。

でも、誰もそれを口にしませんでした。

私は、本人を褒めるのと同じくらい、いやそれ以上に、クラスの子達を褒めました。
「君らの理解・協力あっての成功だ。ありがとう。」
と。

その場には「自分が何か困ったときは、声をあげてもいいんだ。」という安心感や安全性というものが生まれた気がしました。

「配慮」そのものは「本人」のためでしょうが、それは同時に「周囲の人たち」の「理解」や「安心」のためにもなるのです。


このケースでの大きなポイントは「配慮を提供された本人が、力を発揮しようと『努めた』こと」だと思います。

「配慮」したのに、本人は頑張らない。
頑張ったのは周囲の人たちばかりで、当の本人はどこ吹く風。
という話は、残念ながら障害者雇用の現場でもたまに耳にします。

さてそこで、障害者雇用現場に話を移します。

障害者雇用促進法には、「合理的配慮」に関してこうあります。

第三十六条の三
”事業主は、障害者である労働者について、障害者でない労働者との均等な待遇の確保又は障害者である労働者の有する能力の有効な発揮の支障となつている事情を改善するため、(中略)必要な施設の整備、援助を行う者の配置その他の必要な措置を講じなければならない。”

「均等な待遇の確保」については言葉通りですが、「能力の有効な発揮」について換言すると、「配慮」した後は、「本人が頑張る」場面に移行する、ということだと解釈できます。

「合理的配慮」は「配慮」することが目的ではありません

「配慮」によって、本人が「能力を発揮すること」が目的です。

法律には「事業主の責務」という文言は出てきても、「障害者の責務」と言う文言は出てきませんが、働く人の責務は「組織に貢献すること」「自己成長すること」などであることは、当然のこととして存在します。
企業就労は福祉サービスではないからです。

だからこそ「我々は環境を整えた。次は、君が頑張る番だ」という”あたたかさ と したたかさ”が必要だと考えます。

私が各社様をご支援させてもらう中で、現場に刺さる言葉の一つとして
『配慮はしても 遠慮はしない』
があります。

今後の「合理的配慮」が本来の意味や意図を損なわず、現場に浸透していくよう、私もお役に立ちたいと考えます。

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さて今回は、私の古びた話から「合理的配慮」について一緒に考えさせてもらいました。

「ビジネスの現場と、子ども相手の教育現場とは、事情が違う!」

と思われるかもしれませんが、きっと障害者雇用やDE&I推進に携わられている方々は、『小さな声にある大きな気づき』に共感いただけると思い、記憶の隅から思い出話を引っ張り出してみました。

2025年も企業様の障害者雇用推進を、微力ながら全力でご支援させて頂きたく、頑張っていきます。
皆様の2025年が、幸多きことをお祈りしながら、年末最後のメルマガを締めくくります。

最後までお読みくださり、ありがとうございました。
そして1年間、本当にありがとうございました!!
良いお年をお迎えください。

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【おしらせ】

新年もZoomでの無料「個別相談会」を行いたく思います。

(9月に開催した「個別相談会」は告知から1日で予定した2枠が埋まりました。お申し込みくださった方々、ありがとうございました。)

例えば

・経営層に「障害者雇用」の価値を伝えたい
・障害者も周囲の社員も、より活躍できる職場づくりがしたい
・来期に向けて、何を進めていけばいいか

といった内容であれば、ご相談に乗れるかなと思っています。

1月中を目安に、先着2社様ほどお受けできたらと考えています。

大変恐縮ですが、対象者は人事の障害者雇用担当・DEI推進・多様性推進のご担当者のみとさせて下さい。

また、弊社と既にお取引のあるお客様からのご相談があった場合は、そちらを優先させて頂きますことをご了承くださいませ。

このメルマガに返信する形で
「○月○日の○時〜1時間くらい時間とれますか?」
といった感じでお知らせくださいませ。

よろしくお願いいたします!

※この記事をお読みの方で。「相談してみたいな」と思ってくださった方は、下記のフォームよりお申し込みくださいませ。お待ちしております!

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