「支援疲れ」の予防策
先日、コンサル仲間の方とお話させてもらった中で「支援疲れ」というワードが出てきました。
実に言い得て妙だなと思いますし、意外と見過ごされがちな観点だなとも思います。
ちなみに「支援疲れ」という言葉は、人によって解釈が違います。ということは対話の余地が多いにあり、発展の可能性に満ちているということです。
発展を願いつつ、僕なりの現時点での「支援疲れ」の解釈を、対人援助職に起こりがちな”バーンアウト”に置き換えて考えてみることにします。
バーンアウトとは「燃え尽き症候群」と言われるもので
長期間にわたり人に援助する過程で、心的エネルギーが絶えず過度に要求された結果、極度の心身の疲労と感情の枯渇を主とする症候群であり、自己卑下、仕事への嫌悪、無関心、思いやりの喪失などを伴う症状
(Maslach & Jackson, 1981)
です。
ちなみに対人援助職とは
福祉、医療、保健、教育、援助・支援、権利擁護、相談などにおける対人的な支援サービス
(宮垣,2003)
です。
まさに僕は「教育」の領域で長らく対人援助職として活動してきたのですが、御多分に漏れず、1度しっかり燃え尽きました。
小学校教員から特別支援学校の教員に転身した時でした。あまりの環境変化、周囲からの「期待」の重圧、でも思うように能力を発揮できない不甲斐なさで「あしたのジョー」も驚くくらい真っ白な灰になりました。
(話せば長いので割愛します。いつか呑みながら聞いてくださいw)
あの頃を思うと
・弱音も含め今の状況をじっくり聴いてもらいたい
(職場の人にはあまり弱いところは見せたくないけど、、、)
・問題解決に繋がるような実践知が欲しい
という思いが強かったように思います。
思いっきり愚痴れて、でも最後にはちゃんと身になるアドバイスくれる頼れる人がおってくれたら助かったなぁ、と思うのです。
※蛇足ですが「今の自分みたいな人を救う、支援者向けの本を絶対に書く!」と誓ったのもこの頃でした。
実際に対人援助職のバーンアウト防止には、他者からの
・聴いてもらう支援(平野,2012)
・仕事への解決につながる具体的な支援(坂下,2021)
が有益だと明らかになっています。
また、ついつい自分の役割を超えて支援しようとして(例えば、医療機関との関わりまで自分がなんとかしようと思ってしまうなど)行き詰まったり、無力感、無能感を感じたりもしました。
これには「突き放した関心(detached concern)」 (Lief & Fox,1963)の姿勢をもつことが大切と言われています。
つまりは、ある時点で「まあそれは、俺の役割じゃないか」と思うことが必要なのです。アドラーのいう「課題の分離」とも似ています。
(対人援助職を選ぶ人は「ほっとけない」タイプの人が多いのですが…)
さらにいうと「客観性の賦活」(加藤,2006)も必要です。
これはいわば、目の前の問題を構造的に捉えるための「広い視点」を支援者に与えるということです。問題の所在を「支援者のスキル不足」に帰属させてない手助けでもあります。
さて、今後の雇用率拡大に合わせた「障害のある方々の活躍」には、指導員・サポーターはたまたキーパーソンといった”支援的な役割を担う方”の存在が鍵になってきます。
それは同時に「対人援助職的な役割を担う人たち」の数が比例的に大きくなることを意味します。
「障害者雇用」「障害者活躍」の主語は「障害のある方」だけではなく「指導員(支援員)(サポーター)」でもあり、もっというと「職場全体」であることを認識した取り組みが必要になってくると、灰になったかつての自分が叫んでおります。
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