少し誤解があるといけないのでお伝えしておくと、私以外にも多くの先生方は、子どもたちを楽しませようと授業や日々の関わりを非常に工夫されていました。
自分の記事を読み返してみると、まるでどっちらけの学校で私だけが子どもを笑わせようと苦心していたかのように読めてしまうなと、少々反省しています。
全くそんなことはなく、最前線で子どもたちや保護者と向き合いながら、授業も工夫されて「楽しませよう」とされていた担任の先生方が、私は1番すごいと思っています。
ただ、私は子どもたちを笑わせるためなら、懐に入るとか心のバリアをぶち破るといったことが得意だったなとは思っています。
自己効力感との関連
さて、前述の生徒はどうなったのでしょうか。
初めは本当に毛嫌いされていましたが、少しずつ「諦め」にも似た感情で私の奇異な行動にほくそ笑んでくれるようになりました。
また、前回書いたように、一緒に成功体験を共有できたのもよかったです。
少し話がそれますが、自分にはできる!といった信念である「自己効力感」を高めるには
・成功体験
・代理学習
・社内的(言語的)説得
・生理的、情動的喚起
が必要と言われています(参考:バンデューラについて)
プールで泳ぎきったのは「成功体験」であり、私が成功を応援したのは「言語的説得」です。
一緒に「自己効力感」が高まる体験をしたことで、「俺もやればできるんじゃん」という自信を手に入れてくれたのでは、と回想しています。
その生徒が中途障害をなかなか受け入れられない(ように私には見えた)中で、成功体験を通した「自己効力感」にプラスして、笑いによって「ポジティブ感情」が芽生えていったではと思っています。
卒業
いよいよ、その生徒も卒業することになりました。
学校生活の3年間というのは、本当にあっという間です。特に、担任ではない私の立場からすると、さっき入学したのに、もう卒業、、というくらい早い気がしました。
卒業式前日、その子のクラスでは「学校生活の思い出」をみんなで発表しあったそうです。
1人1人が、学校生活の思い出を振り返り(言葉で伝えられない子は、先生の支援によって)をし、生徒によっては涙を流していたようです。
その子は、こんな発表をしたそうです(私は直接聞いてはいません)
「学校生活を楽しむという目標を掲げていたけど、汐中先生のおかげで楽しめました」
そんなことを言ってたんだよ!と、驚いた表情で別の先生が教えてくれました。
「笑い」に拘り続けた私も、さすがにこの言葉には「泣」きそうになりました。
※ちなみに私のポリシーは、「学校では泣かない」なのでグッと堪えましたが。
繰り返しになりますが、私の「笑い」にこだわった行動は、他の先生には特異な姿に映ってましたし、批判もされました。でも他の先生にはできなかった「中途障害」を受け入れられず笑顔を忘れた子どもを、3年かかりましたが「楽しかった」と言ってもらえるくらい楽しませられたのは、名誉なことでした。
卒業式が終わり、お別れする時。卒業生のみんなに声をかけていく中で、その生徒とも言葉を交わしました。
私が近づくと、ぎこちなく手を差し出してきました。
私はがっちりと握手をして「卒業おめでとう」と伝えると、その生徒は
「ありがとう。あとは頼んだ!」といって大きく笑いました。
「あとは頼んだ」というのが何なのかはわかりません。
ただ、私の思いっきりポジティブな解釈だと「もっといっぱいの子どもたちを笑わせてくれ!」というメッセージだったのではないかと思っています。
すこし長くなりました。最後までお読み頂きありがとうございます。
今は教員ではないですが、ありがたいことに障害をもつ多くの方と関わる機会を頂いています。
「あとは頼んだ」と言ってくれた彼のためにも、私はこれからも「笑い」を大切に誰かを笑顔にしていきたいと思っています。
ほいじゃあ
コメント