前回の続きです。
特別支援学校教員時代は、「自立活動」という指導領域の専門指導教諭でした。
クラス担任はしておらず、全校児童・生徒の指導と担任の先生への指導支援・助言、近隣小中学校へ出向いてのコンサルテーションなどを行う立場でした。
こう書くと少しかっこいいですが、やはり1番大変なのはクラス担任の先生方です。私も長らく担任をしてきた身ですが、最前線で子どもたち・保護者と向き合う担任はやはり大変です(その分やりがいや喜びも大きいですが)。一方私は、出張がある日でも、朝や昼の時間帯は比較的余裕がありましたので、全校児童・生徒の様子を見て回ることができました。(担任の先生たちは隣のクラスの様子すら把握できないくらい、朝や帰りは本当にドタバタです)
中途障害で片麻痺が残った生徒の話を続けます。
彼はおそらく、障害受容の5段階において否認や混乱を行き来しているような状態だったと思います。
ときおり笑顔を見せますが、積極的に友達と関わったり自ら話をふったりという姿を見たことはありませんでした。
私は何とかこの子に笑顔を取り戻してもらおうと、あれやこれやで日々「ウザ絡み」をしていました。
いや実はこの子だけでなく、全校児童・生徒に対して「笑い」をとろうとする毎日でした。
真剣に「笑い」を求めた日々
少し話が脇道にそれるのですが、私は「笑い」には大きな力があると思っています。
特に、障害を抱える人にとっての「笑い」は効果が大きいです。
というのも、例えば側湾が進行し、呼吸がしづらい子にとっては「笑う」ことで大きく息を吸えますし、体の内・外両方の筋肉を使うきっかけにもなります。
また、「笑う」ことによって思考が前向きになります。
これはポジティブ心理学における「拡張ー形成理論」でも明らかなものです。(私が作成した研修資料の一部を提示しています)
自分の顔に落書きして子どもたちの前に登場するのは当たり前、時に体を張って、時に小道具を使って、全力で笑いをとりにいっていました。
私がここまで「笑い」に拘るのには別の理由があります。
それは、多くの子どもたちの死を目の当たりにしたからです。
特別支援学校に着任して何が辛いかと言われると、時に子どもたちの「死」に直面することです。
特別支援学校(特に肢体や病弱といった学校種)では病気の進行などによって幼くして亡くなる子がいることを、世間はあまりご存じないと思います。
親御さんの心中をお察しすると本当に辛いのですが、我々教員も受け止められないものでした。
あの子はたくさん笑えただろうか?
子どもたちが亡くなる現実を前に、ふと私は「あの子は、たくさん笑えた人生だっただろうか?」という思いが駆け巡りました。
幼くして旅立った子どもたちの短い「生」の中に、どれくらい笑ってポジティブになった経験があったのだろうか。
もし、亡くなる直前に友達と笑い合った日々、家族で笑い合った思い出が駆け巡ったら、1分で1秒でも長く生きられるのではないだろうか。
じゃあもっともっと、学校でも「笑い」を提供してもいいのではないだろうか。
わがままながら、そう思ったのです。
だからも私は
真剣に、真剣じゃないこと
を考えて、実践していたのでした。
しかしこれは、なかなか先生方(特に管理職や真面目で熱心な先生)には受け入れられない「奇異な行動」に映ったようです。
続きはまた次回。。
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