毎週触れる文献の中で気になった箇所を抜書きし所感を添えて共有しています。今週は以前も読んだ書籍を再読。
3回に分けてもう一度ポイントを抜書きしていきます。
『障害者雇用とディスアビリティ・マネジメント』(二神恭一ら)①
○ウェルービング
・ウェルビーイングの大部分はライフ・サティスファクション。
・自分の生活のさまざまな事柄についてのある時点でのプラスの認知や感情
・一般論としては「ビッグセブン」(Layard,2005)が知られ、家族関係、経済状況、しごと、友人等ひととの絆、健康、個人の自由、個人の価値。
・仕事を持つ人とそうでない人とのライフ・サティスファクションの違いは各年において大きい。
○障害のある人のウェルビーイング
・視力障害のある人のPWB(心理的ウェルビーイング/内面の認知や感情に関わるもの)は、そうでない人に比し、かなり低い。
・経時的なウェルビーイングについて、障害をもつことでウェルビーイングは大きく落ち込む。やがて少しずつ上昇していく(ヘドニック・トレッドミル現象)。
・上昇を早めたり、底上げしたりしていくのが支援。
○医学モデル、社会モデル、バイオーサイコーソーシャル・モデル
・20世紀末にパラダイムシフトがあって、アメリカ、イギリスにおいて社会モデルが浮上
・「人はその人の身体よりも社会によって障害がある状態に押しやられる」(World Report on Disability)
・医学モデルでは人間には何らかの欠陥が生じるものであり、医師が診断し、ラベルを貼り、その欠陥に注意を集中すべきだと考える。
・社会モデルでは人は誰でも評価されるべき存在であり、実際評価すべき何かを持っている。ラベルを貼るのではなく、何がバリアであるかを突き止め、解決策を探し、また利用できる資源をさがす。
・WHOの定義では「健康とは身体上の、または心の、そして社会上のウェルビーイングの状態だと定義できる」のであって、単に疾病にかかっていない、医学上障害がない、ということではない。
・バイオ-サイコ-ソーシャル・モデルの特徴とは、環境と個人要素、特に前者を強調するところ。
○インテグレーション、インクルージョン、ダイバーシティ
・参加するとは、ある事業、ある分野から排除され、疎外されていた非人間が事案、分野、意思決定に加わる、コミットすることを意味する。
・インクルージョンというコンセプト、思想には、人権、平等、対等、ウェルビーイングといった説得力のある普遍的価値感が封印されている。
・参加からインクルージョンに移行する中間プロセスでインテグレーションが登場するのかもしれない。
・「インテグレーションとインクルージョンはともに中心的なコンセプトであり、ある部分は同義であり、別の部分では異なって使われる」(A.Hinz,2002)
・インクルージョンの思想では、全体は分離できない異質性、ダイバーシティをもつ点が強調される。
・障害者雇用の実情はインクルージョンからは距離があると言わざるを得ない。
・ダイバーシティとは、人種、民族、国籍、性別、年齢、宗教、文化、価値観、心身の状況など、人々の属性がさまざまであることを意味する。
・職場の多様性をマネジメントすることによって創造性を刺激したり、幅広い視点を得たりして問題解決力を高めようとするダイバーシティ・マネジメントが関心を集めている。
・インクルージョンにおいては「全体は分離できない異質性」という基本認識こそが大切であり、この基本認識に立っての多様性の強調であるならば、ダイバーシティとインクルージョンは合一する。
○所感
前回の文献調べでは「感情的ウェルビーイング」という書籍を紹介しましたが、本書にもウェルビーイングについて書かれている箇所があったので再読しました。
ウェルビーイングには「働く」影響が大きいのですが、インクルージョンを考えた際には障害当事者のみならず、共に働く人たちのウェルビーイングを同時に高まることが望ましいです。
また、インクルージョンとインテグレーションの区別も私の中では曖昧でしたが、定義としてもくっきり線引きすることは難しいようです。また、D&Iのコンテクストでいうと「全体は分離できない異質性」という基本認識が大切という一文は非常に大切な「軸」だなと再確認しました。
D&Iを「ステップ」として語られることがあります。第一段階はダイバーシティ、第二段階がインクルージョンといったように。職場の多様性を高める「施策」という見方ではとても分かりやすい言説ですが、どちらも「分離できない異質性」であるとすると、DにもIにも共有される認識があるんだなとも思いました。
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