「障害のある方への仕事の教え方(仮)」という書籍を執筆中なのですが、自分自身が「教育ってなんかいの?」「障害ってなんじゃったかいの?」という大きな問いに対して確乎不抜の答えを持ち合わせていないと思うことも。
そこで、長い時間を共にした「仲間」と一緒に考えさせてもらえるべく前職の特別支援学校を訪れました。
教職歴30年以上の超ベテランから数年の若手まで、4人の元同僚と90分のディスカッション。
「そもそも教育って?」「障害ってなに?」「支援と指導のバランス」「障害者との関わり方で何を大事にする?」など、自分と先生方の思考の深層に迫るような対話ができた感じです。
印象的だった言葉を2つ3つ。
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○「特別支援学校/学校教育とは何をするところか?」
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「種を蒔く。たくさん蒔く。書字が苦手だったダウン症の人が、40過ぎてから選挙の投票に行けたと聞いた。家族ですら不安だったのに、1人で選挙に行って社会参画した。学校時代に培った「国語」が数十年後に花開くこともある。だから、教員はたくさん信じてたくさん種を蒔く」
○「障害とはなにか?」
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「相手と自分との相互関係の中で気付かされる意識が「障害」。社会との関わりの中でそれが高くなったり低くなったりする。障害は社会が作っているものという論調には共感する」
○「『障がい者との関わり』で大事にしていること」
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「『怖い』という意識はある文脈では大切(われわれの学校は重症度心身障害児が通っているので)。緊張感をもって接することは相手を尊重すること。まずは相手を知ろうとして関わる。そして相手の好きなこと、苦手なことも理解する。センシティブな部分に丁寧に関わる意味において「こわさ」はあり得る。」
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終わった後に「汐中さんと長く一緒に仕事してきたけど、こんな基本的な問いについてじっくり話せたのは初めてかもね。ありがとう。」と言ってくれた大尊敬する大ベテラン先生の言葉がやたらと心に残っています。
こちらこそです!ありがとうございました!
※「訓練台」と呼ばれる台がいつも話し合いでは我々の机代わりだったなぁとやたら懐かしく思いました。この台で、子供たちは姿勢づくりなど、まさに「訓練」をしています。
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