20年前に足立区の小学校で、初めてクラスを担任した時の教え子から連絡をもらい、再会してきました。
小学3年生だった少年が、社会人6年目の立派な青年になっていてびっくりでした!!しかも爽やかイケメン!
仕事の傍ら、土日はサッカーチームを運営したり、障害者施設のボランティアをしたりしているそうです。
ボランティアをする中で、僕の本を見つけてくれたみたいで、連絡をくれました。(ありがとう!!)
そんなご縁をいただきつつ、教員時代を振り返りたくなりました。
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教員生活の初日。4月1日にやった(やらされた)仕事は、学校の端っこにある畑の整備でした。
新年度の早々に、子ども達が植えるじゃがいもの畝を作るということで、「やっと若い男の先生がきた」と言われながら、半日ずっと力仕事。スーツしか持ってきておらず、初日から泥まみれ、汗まみれ。
内心は、「おいおい、こんなことやるために教員になったわけじゃないぞ。」と、生意気にも着任早々に思ったわけです。
かつて思い描いた”颯爽と教室に登場し、スマートに授業をして、笑顔で去って行く”なんてことは、その後も結局、1日もありませんでした。
とにかく、日々泥まみれ汗まみれ。家に帰れば疲れ果てて泥のように寝る。日々是泥々。そんな毎日でした。
教員10年目で埼玉に引っ越し、採用試験も受け直し、特別支援学校への着任となりました。
そこでは子ども達のトイレ介助がありました。毎授業後、トイレに連れて行く。時にオムツを替える。
「おいおい、こんなこともやるんか。」と戸惑いました。
「やりたいこと」かどうかと問われたら、明らかに「やりたくないこと」でした。
やりたくないけど、やらないといけない。
でもやっていく内に出会う、子ども達や親御さんの「ありがとう」という表情や言葉。
で、気づくんです。
おや??自分が「やりたい」かどうかよりも、「喜んでくれる人」がおることの方が、俺たちには大切なんか??
日々一所懸命に仕事と向き合っている多く方が、似たような思いだと思います。
いつしか、「やりたくないけど、誰かが喜ぶなら、やりたい」となり、いつの間にか「やりたくない」という気持ちは消失しました。
やりたくなかったトイレ介助も、「排泄の成功」を本人と親御さんとで喜びを共有するための、大切な時間になりました。
そして自分でも驚く大きな変化は、ツンツンシャキシャキに尖っていた自分がいなくなったことです。
首から上でしか物が言えず、自分の理想でしか仕事ができなかったツンツン野郎が、いつの間にか僕の中からいなくなりました。
教員2年目で知り合った妻も、よく言ってくれます。
「真摯に仕事するようになって、毒素が抜けた」と。笑
そしてこんなことも教えてくれます。
「スマートに仕事しようとか考えなくていい。最初は誰からも見向きもされないけど、泥臭くても、地べた這ってでも、頑張ってたらそのうち誰かは見ててくれるようになるし、頑張って努力してたら、絶対に成長できる。成長したら喜んでくれるお客さんに出会える。そしたらもっと頑張って成長しようとする。喜んでくれるお客さんもどんどん増える。それが醍醐味なんだよ。じゃないと美容師なんてしんどい仕事、やっていけないよ。」
今の仕事も、あの頃の泥まみれ汗まみれの再現のような日々です。
でもあの頃と違うのは「やりたいかどうか」の評価軸を、あんまり気にしていないことです。
それよりも、「大切な人が喜んでくれること」が重要でありモチベーションな気がしてます。
むしろ、大切な人が「誰なのか」の方を気にしてます。
大切なその人が喜んでくれるんなら、「やる」か「やってみせる」かのどっちかなので。
20年前の自分に何か言えるなら
「若造がやりたい仕事だのなんだの言う前に、とりあえず一生懸命やっとけ。」
でしょうし、多分20年後の自分も今の僕に同じことを言うでしょう。
そんな思いに浸らせてくれた教え子との再会、改めて感謝です。
教え子のTくん、ありがとう。
泥まみれ汗まみれ、どんとこい。
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