広島人のイメージ
いきなりですが「広島人」と聞いてどんなイメージがあるでしょう
- 毎食お好み焼き
- カープファン以外は村八分
- 食後のデザートは「もみじ饅頭」
- 酔うと「それ行けカープ」を歌い出す
- 吉田拓郎を崇拝
などでしょうか。
これらの多くは広島人に対する偏った認識です。
本当の広島人は
- お好み焼きはせいぜい週3日程度ですし、
- カープファン以外はそもそも居住権を得られませんし、
- 食後のデザートは「竹屋饅頭」ですし、
- 酔って歌うのは「お好み焼きの徳川」ですし、
- 南一誠も崇拝の対象です。(南一誠さんは広島を代表する演歌歌手で「それ行けカープ」を歌っている方です。幼少期、南一誠さんと広島の寿司屋で遭遇したのはいい思い出)
(え?もっと偏った??)
ちょっとそれは置いといて、、、
何故、前段のような誤解が生まれるのでしょうか。
答えの前にちょっとだけ思い出話をさせてください。
題して「よしきの上京物語」
僕が感じた「生きづらさ」
大学進学と同時に千葉に移り住みました。
「僕」という個体は全く変化していないのに、突如として「生きづらさ」を感じました。
その1つが「言葉」でした。
「じゃけぇ」「たわん」「たいぎぃ」「はがえぇ」といった、昨日までごく当たり前に使っていた単語が、千葉に引っ越した日から全く通じなくなりました。
※広島を離れて20年以上経った今ですら、頭の中で広島弁→標準語に変換して話しています。
一方、僕は僕で周りのみんなの使う言葉を不思議な思いで聞いていました
「だからさー」
「それでさー」
「だけどさー」
と「さーさーさーさー」言うのを聞いて、「卓球選手が得点を決めた時の叫び声みたいじゃのぉ」と感じたし、
「しちゃって」
「やっちゃって」
「おこっちゃって」
と「ちゃちゃちゃちゃ」言うのを聞いて、「ラーメンの湯ぎりの擬音みたいじゃのぉ」と感じたのです。
新幹線を東に向けて5時間乗っただけなのに、同じ日本で「言葉の壁」があるとは思いもしませんでした。
慣れない土地での慣れない生活は心を疲弊させます。
「疲れた時はお好み焼き(肉玉そばのW)を食べる」
ソウルフードで活力を得るのは広島に限らず地方出身者共通のマインドかもしれません。
が、そもそもお好み焼き屋さんが周りにない。
ようやく見つけたと思ったら、なにやらボールに生地や具材を入れたものをかき混ぜて、小さな鉄板で自分で焼くスタイルのお好み焼き屋さんばかり。
でっかい鉄板の上で、おばちゃんが汗をかきながら1枚ずつ焼いてくれ、「お待たせ」という声と同時に目の前に置かれたお好み焼きを、ヘラで突きながら、熱さに耐えながら、「はふはふ」と食べるお好み焼き屋さんは、どこにも見当たりません。
僕は「言葉」の他にも「食べ物」にも困ったのです。
大仰に換言すると「生きづらさ」があった訳です。
問題提起にしては例え話が卑近すぎましたが、ここで問いたいのは「生きづらさ」がどこからきているのかということです。
「生きづらさ」はどこからくるのか
僕がすぐさま広島に戻れば「生きづらさ」は解消されるでしょう。
誰の話すどんな言葉もすぐ理解できますし、こちらが話す言葉も具に理解してくれます。
街にはお好み焼き屋さんがひしめき合っています。「この店、いっぱいじゃけぇ、あっちいこ」というくらいに、お店はいくらでもあります。
仕事で打ちひしがれた帰り、お好み焼きを食べて活力を得ると言うことが容易にできました。
僕は千葉(大学・大学院)→東京(小学校教員)→埼玉(現在)と移り住みましたが、どの土地でも同様の生きづらさはありましたし、今もあります。
広島にはない「生きづらさ」が、関東ではあるのです。
繰り返しの問いですが、「生きづらさ」はどこから来ているのでしょうか。
社会モデルの話
広島を捨てきれない「僕」という個人のこだわりが生きづらさを生み出しているのでしょうか。
それとも関東の環境・制度・価値観といった社会の要素が生きづらさを生み出しているのでしょうか。
これはどちらかが正しくて、どちらかが間違っているという話ではなく、問題のありかを問い直しながら色んなとこに目を向けてみようという「見方」の話です。
僕の専門領域である「特別支援教育」に話を移します。
身体障害や発達障害といった個人の心身の制約こそ、「生きづらさ」の根本だという考えがかつてありました。
それが「ノーマライゼーション」という言葉が生まれ、障害者の権利について見直し始めてから、「ん?もしかして『障害』を考えるには社会全体を見直す必要があるんじゃないの?」となっていきました。
前者を「個人モデル」または「医療モデル」、後者を「社会モデル」といいます。
(やっと「社会モデル」と言う言葉が出てきた)
個人モデルの考えのままだと、障害者というのは「生きづらさ」の解消が限定的になります。
そして、個人がいくら努力したとしても機能的な障害の克服には限界があります。
社会モデルのように「社会の環境や価値観を問い直してみよう」という考えから生きづらさを見つめ直すと、個人モデルでは解消しきれなかった「壁」に気づくことができると思うのです。
多数派と少数派という話
さて最初の問いでは「広島人に対する偏った認識」を挙げました。
これはどこからきているのでしょうか。
それは「関東に広島人が少ない」ことにあります。
関東に住んでいる方の周りに、広島人は何人いるでしょうか。
多分、100人に1人いればいいくらいじゃないでしょうか。
広島人は圧倒的な少数派(マイノリティ)です。
(ちなみに発達障害の可能性がある子供の割合は6.5%(2012年文科省調べ)と言われています。以前より増えたと言われますがまだ少数派です)
数少ない広島人に共通する行動や思考の様式から「広島人」の表象ができあがり、偏った認識に繋がります。
ここで多数派(マジョリティ)の関東の人たちが「方言が使えないのはかわいそうね」とか「こっちに来たならこっちの文化に合わせるべきだ」と片付けるのは簡単です。
でもそれでは、広島人の生きづらさは何1つ解消されないのです。
なにも「マイノリティに同情的になって」と懇願しているわけではないです。
まずは「こんな生きづらさがあるのか」ということを知った上で、社会にある価値観を問い直すのって必要なんじゃない?という話です。
そして「僕」が素のままで広島弁を操り、凹んだ時はお好み焼きを食べて回復できたとすれば、僕という人間のパフォーマンスは高まるはずです。
「障害」とはなに
障害者の活躍という意味でも同じことが言えるのではないでしょうか。
機能的な障害をもつ彼ら彼女らは、一体何に困り、何に生きづらさを感じているのか。
そもそも「障害」とはなんなのか。
我々はもっと「知る」ことが必要であり、知りながら「前提を問い直す」ことが大事なのではないでしょうか。
「多様性」という言葉を使うのは簡単ですが、それが「マジョリティからみた多様性」でとどまっていないでしょうか。
僕もまだ不勉強、無理解、無関心の塊です。
一緒の学んでいけると幸いです。
そしていつか、広島人が南一誠の「広島天国」を口ずさみながら、山口人は吉田松陰のTシャツを着て、岡山人は吉備団子を腰にさげ、島根人は石見銀山のカケラを握り締め、鳥取人は砂丘の砂を撒き散らしながら、銀座の街を闊歩できるようになったなら、それが「多様性」の入口だと思います。
※広島人が人によって違うように、障害をもつ方々も個人によって特性の現れ方は様々です。ただ、困りごとの多くは共通することが多いので、大きく広く理解するためにまとめてみました。
※東京大学大学院 教育学研究科附属 バリアフリー教育開発研究センター 星加良司先生のお話を僕なりに噛み砕いて書いてみました。
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