見えにくい障害に対する合理的配慮を考える③/文献調べ26−07

前回、前々回の続きで、「見えにくい障害」に対する「合理的配慮」をめぐる葛藤 -高次脳機能障害を事例に (澤岡友輝,2025)を抜書きしていきます。

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○研究方法と研究対象
・2019.9-2024.2
・高次脳機能障害者にたいする自己開示/非開示をめぐる戦略や、就労現場での困難度等について聞き取り調査及び生活史調査
・研究参加者20名のうちの4名の就労における葛藤の語りより以下抜粋

配慮不足と「インペアメント」の主張の難しさ
・高次脳機能障害が当事者の「努力」によって克服可能な者であるとする無理解に直面
・上司が入れ替わるたびに合理的配慮が提供されるかどうかも変わる
・高次脳機能障害者の努力が評価の基準となる環境は、障害の個人モデルを基盤にしている。個人が自身の障害を正しく認識し、それに即して自ら障害を補う努力をし、自ら支援を要請するということが当たり前のように期待されているため。

○配慮の過剰と「やりがい」をめぐる問題
・当事者たちは受傷以前の自身の労働観や仕事観、あるいは自己像からの転換に苦しむ。
・会社は、復職後に新しい仕事をやるに当たっての手順などを書いたマニュアルを作ってくれた。このような配慮は助かる事態であるものの、元いたチームには戻れず、「なんでもします」というポジションを与えられることになったことに落胆
・迷惑をかけないための工夫を常に考えながら仕事をしている
・仕事をする上で迷惑をかけないことは当然であり、実際、仕事で関わる多くの人々は障害があっても、仕事でミスをして意はいけないと考えている
・結果として、彼は仕事に対するモチベーションがなくなった

・受傷前にがむしゃらに働き、障害を負った後も努力を重ねてきた当事者にとっては、合理的配慮の提供は受傷以前に内面化していた労働観や仕事観、理想とする望ましい労働者像をむしろ強化し、それが「努力」によって達成できない自身に対する葛藤を深めてしまう結果になっているように思われる。
・合理的配慮として事前に申請した「できないこと」が就労の継続で改善しても、そのまま配慮が提供されることは、当事者にとっては過剰な配慮となる

・誰にでも起こりうる失敗やミスまでも障害のせいにされる

・以上からは、合理的配慮の申請が認められても、障害の漸次的な改善に対する理解の難しさや、何が障害で何が障害でないかについての線引きの難しさへの対応がなされないと、労働主義的な労働規範を内面化している当事者たちにとって、やりがいや自尊心が損なわれることになることが示唆される

○結論
・現行の合理的配慮は、説明責任を当事者に課す個人モデルに立脚しており、それを適切に説明するのが困難な高次脳機能障害者の場合、配慮の過少や過剰へとつながること
・従来の障害学では、障害の社会モデルに則した労働規範を社会に求めていく姿勢を示してきた。だが、高次脳機能障害者は受傷以前に内面化した、社会や会社と同じ健常者主義的な労働規範を維持している
・障害を負ったことが可視的ではなく、改善・回復の見込みを感じている場合→当事者は、健常者の労働規範に則して評価される人間へ戻る期待を捨てることが難しい
・そのための努力をする過程で、努力主義や生産主義的な規範を自ら強化する
・障害を負った自身を受け入れて働きやすい環境を求めていくことと、健常者中心的な社会で再び活躍していくこととのあいだで揺れ動き、どっちつかずの状態

・自身の生き方を再構築するためには「他者のニーズ」から抜け出し、自らと向き合う時間や環境が重要。

○所感
合理的配慮の提供されない原因の中で、障害に対する誤解があるということから
・障害による困難を不変なものとする誤解
・困難に対する不適切な理解
・今ある状態の正当化
という指摘はありましたが、「見えない障害」から
・可視性に基づく障害の有無の判断
の4つの問題が生じるとのことです(飯野,2020)

手帳をもたない難病患者について雇用率の在り方が検討されていますが、今後難病という「見えない」障害についても当事者の葛藤など、就労における困難さがあることを理解する必要性を感じました。

澤岡先生、ありがとうございました。




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