CAINZさんとの取り組み
現在、私の前職である「埼玉県立熊谷特別支援学校」とホームセンター「CAINZ」さんの特例子会社「カインズ・ビジネスサービス(通称:CBS)」さんとが協働で「働く身体障害者向けの服づくり」を探求学習プロジェクトとして進めています。
教員時代にCBSさんと一緒に進めてきたプロジェクトですが、起業した現在も「授業アドバイザー」という形で関わらせて頂いてます。
現在の私を語る上では欠かせないこのプロジェクトについて、今回はじっくり書きたいと思います。
きっかけ
ホームセンター最大手「CAINZ」さんの特例子会社「カインズ・ビジネスサービス」さんと私との出逢いについて書きます。それには、CBSの立ち上げを担われ、今年亡くなられた國頭圭吾さんと私の出逢いなくしては語れません。國頭さんの遺志を継ぎながら、現在も活動しているところです。
特別支援学校の教員になって5年がすぎた頃、私は「自立活動」の専門教諭になっていました。
小学校教員を9年務めた後、右も左も分からぬ特別支援学校に舞い降りた人間が数年経って、特別支援学校ではプロフェッショナルなポジションである「自立活動」の教諭になるとは全く予想していませんでした。
自立活動とは、障害をもつ子どもたちが自分達の障害や、困難さを克服したり乗り越えたりするための、心と体の調和的な発達を目的にした指導領域です。
と、お堅く書くとますますなんのことかわからなくなりますが、障害をもつ子どもたちには「教科の学習」以外にも障害に対する主体的な働きかけが大切な学習になります。
一般的な学校では馴染みのない「自立活動」ですが、特別支援教育においては要です。
「自立活動」の専任教諭として、小学部〜高等部までの児童・生徒の指導に関わるほか、先生たちへの助言、近隣小中学校へのコンサルテーションもしていました。
一方で、私個人の思いとして強かったのが
「障害を乗り越えて『社会で生きていくため』の指導をしているが、教員自身が『社会』をよく知らない」
というジレンマでした。
子どもたちに「社会に出たら・・・」とか「学校を卒業したら・・・」とか声をかけながら未来志向で教育をするのは非常に説得力があるように思えます。しかしながら、多くの教員が学校現場以外の社会を知りません。
特別支援学校の要とも言える「自立活動」の専門家である自分が、「社会」を知らないままに指導することになんとも言えぬ違和感を感じたのです。
そこで私は、こともあろうに、関東の雄「CAINZ」さんの特例子会社を立ち上げられた國頭さんに一方的にメールを送ったのです。
内容としては
社会に出るための教育をしている僕が、社会について全くと言っていいほど知りません。
障害者就労の現場で求められる技能・知識・態度とはなんなのでしょうか。僕はそれを知らずして指導することへの限界を感じています。
といった、今考えると重すぎるメールだったと思います。。。冷や汗
それでも國頭さんは非常に真摯に受け止めてくれ
社会に出て身につける力は、我々の責任です。学校は今まで通り、学校でやるべきことを一生懸命に取り組んでください
と返事をくれました。
当時の私は、「顔も知らない自分の思いをこんなにも真摯に受け止めてくれ、熱いメッセージをくれる人」に感激したものでした。
メールのやりとりを何度かした後、問題解決したので音信不通になってから半年。
私もそんなメールを送ったことも忘れるくらい忙しい毎日を送っていたときでした。
突如、再び國頭さんからメールを頂いたのです。
「何か面白いことをやりませんか?」
という件名だったことを記憶しています。
久々に頂いたメールと件名の文字に胸躍りました。
そこから國頭さんと私で「なにか面白いことを!!」と、40代のおっさん2人が少年のようにワクワクを語り合っていました。
メールのやりとりを重ねる中で、國頭さんと私の意見が一致したのが、
CBSさんが得意な「縫製」を活かして「身体障害者でも脱ぎ着しやすい服を作ろう」
というテーマでした。
そこから、熊谷特別支援学校とCBSさんとが「探求学習」で繋がり、障害をもつ生徒たちの夢や希望を広げるプロジェクトを進めてきました。
最初の取り組み
私がまず着手したのが「校長を口説くこと」でした。
教員も他の組織の御多分に洩れず、何か新しいことを始める時にはまずトップの理解を得ないといけません。
やや閉鎖的で保守的な印象がある学校ですが、トップマネジメントによって大きく色合いが異なります。
当時の校長は、やや堅い人だったので新たな取り組みに難しさも感じつつも、渾身の企画書を作ってプレゼンし納得してもらいました。
その後、職員会議で提案し、賛否両論ある中でもなんとかかんとか全校の同意を頂いて、プロジェクトが本格スタートしました。
保護者アンケートをとって「普段、お子さんに服を脱ぎ着させる時に困ること」の声を集め、そこから「身体障害者にも着やすい服」を考え抜きました。
実際に授業をしたのは、後輩のO先生でした。私は先述の通り、自立活動の専門教諭だったため、自立活動以外の授業をすることができませんでした。「探求学習」として位置付けていたため、熱き志をもつ後輩に授業を託し、私は後方支援に徹しました。
CBSさんには何度も何度もサンプルを縫製してもらい、生徒の声も反映させながら、最終的には「身体障害のある人でも着やすいフォーマルスーツ」が完成しました。
高等部の生徒たちがそのスーツに袖を通して卒業式に出た姿を見て、私は誰にも見つからないように涙しました。
突然の別れ
小学校で9年、特別支援学校で9年のキャリアを積んだ私ですが、障害をもつ生徒と日々過ごす中で、私自身が「挑戦」「自立」していかなければという思いが強くなりました。
また、「障害者が活躍できる社会づくり」に貢献したいとの思いも相まって人生最大の決断でもある「独立・起業」に至り、教員を卒業することになりました。
お世話になったCBSさん、國頭さんにもご挨拶したところ、非常に驚かれた一方で「君のような面白い人間とはこれからも付き合っていきたい」と言ってもらえました。
教員ではなくなった私ですが、新しく来られた校長先生(他校でお世話になっていた恩師)もプロジェクトに賛同してくれ、「授業アドバイザー」という形で継続して関わらせて頂くことになりました。
CBSさんとも「コンサル契約」という形をとって頂きながら、学校内のプロジェクトに留まらず、國頭さんと私の想いでもあった「障害者が働きやすい社会」につながるよう活動の主軸を移していく予定でした。
予定でした。
そう、別れは突然訪れました。
7月中旬、國頭さんとの約束があり本庄市にあるCAINZさんの本社へ伺う予定をしていました。
約束というのが現場実習の生徒を一緒に見てもらいたいというものでした。
元教員の腕がなるなあと思って楽しみにしていました。
前日の午前中、一緒にプロジェクトを進めてくださっていたCBSのIさんから電話をいただきました。
「國頭が、亡くなりました」
私はこの言葉を理解するまで、非常に多くの時間を要しました。
頭が真っ白になるというのを、身をもって実感したのも初めてのことでした。
つい最近お会いして、そしてメールもいつも通りおどけた内容でやりとりして、そしていつも通りお会いできると思っていた方が「亡くなった」というのです。
「え??」
と言ったまま、固まってしまいました。Iさんも電話の向こうで泣いていました。
國頭さんの突然の訃報は、私だけではなく、CAINZさん、CBSさん、関わっている多くの人たちにとっても、深すぎる悲しみとなりました。
惜しい人、、という言葉では覆い尽くせないくらい、本当に大切な方をなくしてしまいました。
熊谷特別支援学校だけでなく、本庄や行田などでも就労支援アドバイザーを務められていましたし、地域の障害者支援団体にも参加され、障害者就労には欠かせない方でした。
國頭さんがご尽力されたCBSの障害者雇用は「令和4年度埼玉県障害者雇用優良事業所知事表彰」を受けられました。スタッフの皆さんも、きっと國頭さんに見せたかったと思います。
そんな方を失った穴は大きすぎました。
お通夜に参列させてもらいましたが、私は國頭さんの顔を見るまでは絶対に信じたくなかったのですが、どうやら現実だと分かった瞬間に、咽び泣きました。あんなに泣いたのは生まれて初めてってくらい泣きました。
本当に突然。突然すぎる別れで、実は今も心の整理ができてはいません。
想いはつづく
プロジェクトの大きな柱を失ってしまいましたが、CBSさんのご協力と後任の矢野さんのご尽力とご理解のおかげで、今年も熊谷特別支援学校とCBSさんとの「探求学習プロジェクト」は続いています。
私は普段は人材開発の仕事をしており、研修への登壇などを行っています。
CBSさんとのプロジェクトは仕事ではありません。
しかし、國頭さん、CBSの皆さん、後任の矢野さん、熊特の子たち、先生方、そして社会そのもののため、想いを繋ぎながら活動の後方支援を続けていきます。
今年はすでに、いくつかの企業さんからも協力を得られていますし、芝浦工業大学大学院の蘆澤研究室(デザインの専門家)との連携も果たせそうです。
※ちなみに蘆澤准教授と私は千葉大学・大学院でバンドサークル仲間でした
今年は「働く人の服づくり」というテーマで、障害をもちながらも働く人たちに着やすい服を作ろうと学校、CBSさん、協賛企業・大学、ついでにレオウィズ汐中で頑張って進めています。
みんなの思いが乗った服が完成した暁には、國頭さんの墓前に自慢しに行こうと思います。
その時まで、見守ってもらいたいと思います。
國頭さん
あなたの遺してくれた熱い想い。しっかりと受け止めています。
あなたと交わしたメールを見返しながら、そのうち返信くれるんじゃないかって淡い期待もしています。いっぱい駆け抜けてこられたでしょうから、少しゆっくりしてもいいでしょうが、我々が一緒になって取り組んだプロジェクトが社会にインパクトを与えるまでは、そっちの世界から念を送り続けてください。あなたの思いが、こっちの世界で生き続ける限り、僕の中ではあなたは生き続けてますから。
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