【コラム】自己肯定感を考える
障害者雇用の現場に限った話ではないとは思いますが、自分もしくはメンバーの「自己肯定感の低さ」が話題にあがることがあります。
(傾向として、ASD(自閉スペクトラム症)と自己肯定感の関連研究(Williamson et al. (2008)など)でも、ASDの人は定型発達の人と比較して、自己肯定感が有意に低いようです)
「自己肯定感」について、ちょっと考えてみました。
自己○○感という言葉は他にもあって、例えば自己効力感、自己有用感、自己統制感などでしょうか。
僕の理解では、
自己効力感・・・「わしにはできる!」
自己有用感・・・「わしはできとる!」
自己統制感・・・「わしがやっとる!」
というものかなと思います。
一方、自己肯定感は「これがわしじゃ!」
だと思います。(なんで広島弁なんかはさておき)
最初の3つの自己○○感での「自己」は「私は」といった主語的な使い方ですが、自己肯定感の「自己」は目的語的な受け身に感じます。
では、何を「受けて」いるのでしょうか。
それは「いろんな自分」です。
自分にはいろんな側面や要素があって、僕だと「負けず嫌い」「ユーモラス」「真面目」「繊細」「人見知り」などです。
そう、ポジティブな側面とネガティブな側面があるのです。
いろんな自分をひっくるめて「肯定的」に捉え受け入れるのが「自己肯定感」。つまりは「これがわしじゃ!」の感覚だと思います。
「マラソンが好き」「海外旅行が好き」
と語る人は、ネガティブな側面(怪我のリスク、トラブルのリスクなど)もあるけれど、ポジティブな側面(爽快感、異文化との触れ合いなど)もたまらなくて、ひっくるめて「好き」と表現しているのです。
それでいうと、よく聞く「自己肯定感が低い」というケースの多くは、「こんな自分は嫌だ」「だから自分はダメなんだ」といった、「ネガティブな側面」しか捉えていないのかもしれません。
どんな人にもその人にしかないポジティブな側面があるはずで、そこに目を向けず、あるいは、ネガティブな側面が目立ちすぎて「こんな自分は嫌だ」「だから自分はダメなんだ」という感覚が強くなっているのでしょう。
ただ、自分では「ポジティブな側面」というのは見つけにくいものかもしれません。これまで学校・職場で失敗を多く経験してきた人は「自分はダメだ」という気持ちが大きくなりがちです。
そこには2つの解決策があって、「自分で捉え直す」か「他人に教えてもらう」だと考えます。
ネガティブな側面も、実はポジティブな要素を含んでいたりします。
僕は(こう見えて)結構「繊細」で傷つきやすいです。大雑把で「なーんも気にしない」と言っている人を見るとすごく羨ましく感じます。
一方で、「繊細」だからこそ、細かいところに気付けたりします。「気が利くねー」なんて言ってもらえるのは「繊細」さ故の言葉でしょう。
あとは周りの人の力を借りて教えてもらうというのも手です。「あなたには、こんな良いところがある」と言ってもらえると、自分の知らない自分の良さに気付けます。
ただ、職場でいきなり「僕のいいところを3つ教えてください」と聞けないでしょうから、例えば1on1の際に上司から部下へ意図的にいいところをそっと伝えるなど、少しずつ文化を築いていくことが必要かなと思っています。
ちなみに僕は起業当初、「元教員」という肩書きによって「教育現場しか知らないんですよね」とか「企業側の視点に乏しそう」とストレートにご指摘いただいたことがあり、「元教員」というどうやっても拭えない僕のキャリアに対して否定的になった時期がありました。
一方で、「教員をずっとやってこられたってところが信頼できる」とか「元教員だから、仕事が丁寧ですね」とも言ってもらえることがありました。今は、「やっぱり”元教員”でよかった」と思えています。
人の言葉によって、ネガ→ポジに転換されるんだなぁと感じています。
そしてそんな言葉をかけてくれる人は、やっぱ、好きになりますよね 笑。
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