メルマガを発行しました

ちょっと前ですが、7/29にメルマガを発行しました。

本論だけですが、ブログにて共有いたします。お時間ある時にご覧いただけると嬉しいです!

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【本編】「可視化」と「可思化」

「『建設的な対話』によって、障害のある方の”困りごと”を『可視化』していくことが、合理的配慮の提供プロセスにおいて大切です。」

紛うことなき、私が発した言葉です。自分で言っておきながら、違和感を覚えました。

「人が長年苦しんできた”嫌な記憶”を、「対話」によって他者が浮き彫りにできるなんて、烏滸がましくないか?」と思ったのが違和感の原因です。

(その場でお伝えした方々には後日訂正しました)

じゃあ、「対話」によって何を感じ取るのでしょうか。

それは「人の心」の「可視化」ではなく、「可思化」なんじゃないかなと思った話です。

見えないものも見えるように整えることを「可視化」と言いますよね。

似た言葉に「見える化」があり、双方の意味することには若干の違いがありますが、どちらも”見えにくいものを見えるようにする”という目的をもつものだと理解しています。

「人の心」という見えない部分を「可視化」する試みや研究もあります。

(参考:https://www.u-fukui.ac.jp/fukupre/9642/

例えばエンゲージメントサーベイなどは、従業員の組織に対する信頼といった内面にあるものを数値化し、組織の状態を「可視化」するためのツールです。「人の心」を「可視化」する性質をもっていると言えます。

さて、ここから私のフィールドに引き込んでいきますね 笑

「合理的配慮」の提供プロセスは、差別解消法も雇用促進法も、事業主と障害者による「対話」を通じて進んでいく、いわば対話的性格(川島,2016)をもっているものです。

ここでの「対話」は何をしようとしているのかというと

・「合理的配慮」は個別ニーズへの対応であるため、障害のある人が抱えている困りごとにアクセスする必要がある

・「合理的配慮」は、話し合いをベースに考えていく”事後的性格”をもっているから、「対話」を通して相手を理解する必要がある

といった目的の達成です。

じゃあ、これら試みも「人の心」の「可視化」なのでしょうか。

前段で述べた違和感の通りではありますが、誤解を恐れずいうと、私は「対話」により「人の心」が「可視化」することは”ない”と思っています。

”ない”と言い切ることに抵抗を感じるので、”難しい”と、ちょっと柔らかい表現にしておきますね 笑。

「可視化」といういわば結論的・断定的な結果を「対話」によって得ようとすると、そこにある「対話」は渇いたものになると考えます。

本来の「対話」はもっと穏やかで、かつ真剣で、いい意味でじっとりとした湿り気のあるものだと思っています。

それよりも何よりも「対話」から「人の心」という言わば「本音」を引き出すことは、対人援助の現場で長らく活動している私からしても、非常に難しいことです。この難しさ(奥深さ)はキャリア面談などを推進されていらっしゃる方には共感いただけるかなと思います。

余談ですが、私がかつて管理職と面談をした際に「困っていることはなんだ?」と言われ(目の前にいるあなたの普段の振る舞いだ)と思いつつも「ないでーーす」と笑顔で答えたことを覚えています。それくらい、本音は出にくいものです。笑

じゃあ「合理的配慮」に向けた「対話」は何をしようとしているのでしょうか。

それが、冒頭にある「可思化」(読みは「かしか」で同じ)なんじゃないかなと思っているのです。

ちなみに「可思化」を検索しても何も出てきません。私の造語なので。

「思」には「心を働かせて考える」という意味があります。

見えるようにするのではなく、相手の心について「自分の心を働かせて考える」。それを”可”能にしていくのが、「対話」という場なのではと思ったわけです。

一足飛びに「人の心」を「可視化」しようとするのではなく、そのだいぶ手前にある思いを考える「可思化」を心がけてみるのです。

しかもこれは、事業主側だけが心がけるものではありません。

障害のある人も同様に、相手の心について「自分の心を働かせて考える」ことが必要で、その重なり合う部分に「合理的配慮」というものが姿を表すと考えています。

私たちは普段、積極的に「人の心」について考えることはあまりありません。というか、後回しになりがちです。

「人の心」について考えるというのはとてもエネルギーのいることですから、他にもっとエネルギーを注ぐ対象が溢れている日々の忙しさにおいては、どうしても後回しになるからです。(プロのカウンセラーですら、面談時間をきっちり設け、エネルギーが枯渇する前に面談を切り上げます。)

ただ、だからこそ、腰を据えてじっくり相手と考える「対話」の場は貴重ですし、それをもたらしてくれる「合理的配慮」というものは、捉え方によって大きな可能性を秘めているものだと思っています。

今回は「可視化」と「可思化」というテーマで徒然に考えてみました。

皆さんの何かの足しになっていると幸いです。

ではまた!!

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