変えるのは相手ではなく、自分の認識という話/文献調べ 24-18

今回は「発達障害からニューロダイバーシティへ 〜ポリヴェーガル理論で解き明かす子どもの心と行動〜」 モナ・デフラーク著、花丘ちぐさ訳の一説をご紹介します。

タイトルの通り、子どもの心と行動について書かれた書籍ですが、ニューロダイバーシティを理解する上で大切(我々専門家にとっては引き締まる内容)な内容を含んでいますので、ご紹介させて頂きます。

(・部分は本書からの抜書き、○は私の感想)

・私たちは自分でも気づかないうちに、養育者や教師など、ケアの提供者としての自分の生活を楽にしてくれるような行動を評価する
・聞き上手で指示に従うことができ、じっと座っていて、テストで良い結果を出すことができる子どもたちを褒め、良くできると高い評価を与える
・「良い」行動を肯定的に評価することが多いが、特に教育の現場において、「手のかからない子」の特性から外れた性質を持つ子どもたちに送っているメッセージであることに気づかないことがある
○本当にそうだなと、過去の教員としての自分の未熟な指導を恥ずかしく思いました。

・全ての行動には動きと感覚が伴うため、自閉症研究者のアン・ドネランは、自閉症と診断された人の行動の個人差を表すために「感覚と動きの違い」という言葉を使っている。
・「不適切とレッテルを貼られた人が、実は自分の人生の状況を楽にするために調整と適応を絶妙に組み合わせて使っている」ということ、そしてそれが、非常に複雑で高度な適応であることが見落とされがち
・「運動―感覚の観点(movement-sensing perspective)」と呼ばれる自閉症の理論モデルは、運動と感覚の根本的な差異が自閉症の主要な特徴であることを示唆している
○認知機能の「感覚入力」において、自閉スペクトラム症の方とそうで無い方との根本的な差異があるということを示しています。例えば聴覚過敏がある場合には、大多数の人がなんとも思わない音に対して不快さを示すため、不快な音から逃げようと立ち歩いたり耳を塞いだりという、「他の人と違う行動」を選択することを記していると思われます。

・ポージェス博士は「行動は、人間関係を含む環境に関する個人のニューロセプションに対する、生存に基づく適応であると考える」と述べる
・トーレス博士は「運動―感覚の観点」から、「『自己刺激行動』、視線をそらす、儀式的な日課など、症状とされる多くの行動は、知覚と行動の安定性と制御を支える対処メカニズムとして理解することができるかもしれない」と説明している。言い換えれば、自閉症でみられるこれらの行動は、子どもが感覚系を通して世界から情報を取り込み、その情報に基づいて対処するのに役立っているかもしれないということ
・統合、コミュニケーションの改善、セルフ・アドボカシー(障害者や弱い立場にある子どもなどが、自ら責任の主体となって自己主張すること)、そして無いよりも人間関係の喜びとつながりを促進する活動を提供することで、子どもの自律性をサポートすることができる

ニューロダイバーシティのある人の行動を理解する
・1.子どもの感覚や運動特性が、子どもが何を考えているのか、何ができるのかを示す能力に影響を与える可能性があることを理解する。2.一刻も早く専門家に相談し、子どものコミュニケーションを支援する。AAC、FC。3.子どもたちが失敗を恐れずに行動するためには、信頼関係を築く時間が必要。

・変える必要があるのは、自閉症を持つ人の行動に対する政府や専門家の認識であり、より多数派の神経系を持った人たちと同じ行動をとるようにと、自閉症を持つ人を変えようとする必要はありません。

・挑発的な行動は、子どもがコミュニケーションをとろうとしている試みでもある場合がある。無視することは子供に間違った感情的なメッセージを送る
・無視は、自閉症時の行動を過度に単純化して理解し、その背後にある複雑な思考や感情を見極めようとしないことを意味する
・無視されることは子供にとってストレスになるし、親や養育者にとっても子供を無視することはストレスであり不自然
・子供には能力が備わっていることを前提にすると、優先順位が、行動を正すことから、成長、コミュニケーション、セルフ・アドボカシーの促進へと変わる。
○この一節は本当に心に刺さりました。変えるのは専門家の認識というのは肝に銘じたいです。

○一言所感
今回は「発達障害からニューロダイバーシティへ 〜ポリヴェーガル理論で解き明かす子どもの心と行動〜」から、特に私が重要だと思った部分をご紹介しました。

本書では「氷山モデル」を用いながら、目に見える「行動」には、目に見えない理由や背景があると示しています。ここまでは私も認識していますが、それが”知覚と行動の安定性と制御を支える対処メカニズム”という解釈はなるほどそうだなと思いましたし、DSM-5のようなマニュアルだけで評価・判断するのはその人の深い理解の妨げになる場合もあるなと感じました(もちろん、マニュアルに則った解釈や判断は絶対的に必要です)

いい気づきをいただきました。ありがとうございました。

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