笑い方を思い出した子③
批判され続けた日々
元々、人を笑わせるのは好きでしたが、ただただ楽しませるよりも「笑ってポジティブになって、少しでも生きてもらうため」に、ひたすら笑いにこだわった晩年の教員時代でした。
例えば・・・
・コロナ化で「黙食」が推奨される中で、生徒たちの笑いを誘う行動をとる
・放送室をジャックして、先生たちのモノマネをしてイジる
・仮装、変装をして廊下を歩く
など、文字面にするとかなり「奇異」な人間でした。笑
これはなかなか他の先生たちには理解し難い姿だったようで、強烈な批判もされました。
ただ、教育現場が「右に倣え」を美徳とし、誰もはみ出してはダメな場だとしたら、教育による「個の伸長」などできないとも思っていました。
そして、この「奇異」さで子どもたちが笑顔になって、笑ってくれ、「生」が長らえるなら、大人たちに批判されようとも突き通してやるという信念めいたものもありました。
「枠からはみ出る人」が活躍できる社会が学校現場だとしたら、日本の成長は明るいのになぁとも思います。
少し私まで批判的になりすぎました。すみません。
私自身が批判されようとも「笑い」にこだわり続け、1人でも多くの子どもたちを笑わせようと「真剣に真剣じゃないこと」を考え、実践していました。
前述の生徒も、徐々に諦めに近い形で、私の行動に笑顔を見せてくれるようになりました。
泳ぎきった15m
夏のプールの授業。私は「補助」として全学部・全学年のプール指導に関わっていました。
室内プールとはいえ、毎日・毎時間プールで子どもたちを指導するのはなかなかに大変な仕事でしたが、身近に子どもたちの成長を感じられる貴重な場でもありました。
その生徒は、片麻痺になる以前は水泳が得意だったようです。ただ、麻痺の影響で真っ直ぐ泳ぐことができずにいました。
動く方の手と足を使って、一生懸命に泳ぎますがなかなか前に進まない。程なく、呼吸が続かなくなり立ってしまう。「前は泳げたのに」と切なそうに呟く彼を、せめてこの小さなプール(15m)の端から端まで泳げるようにしてあげたいと思ったのです。
そして、学校生活最後の水泳指導の日。授業時間いっぱいを使って15mをなんとか泳ぎ切ろうと練習をしていました。しかし、どうしても10mくらいで立ってしまう。真っ直ぐ泳げずプールの側面に当たってしまう。
とうとう、授業終了のチャイムが鳴ってしまいました。
みんながプールからあがり、先生たちは片付けをし始めています。
無理言って少しだけ居残り練習をさせてもらっていましたが、その生徒も少し疲れてきたので、次がいよいよラストチャンスという場面になったのです。
私は、方向が掴めるように大声を出します。その生徒も、「息継ぎをしたらバランスを崩してしまう」と気づいて15mを息継ぎなしで泳ごうとしていました。
「まっすぐ!!いいぞ!!もうすぐ!!!」
と大声を出します。
あと2m、あと1m、、、ペースが落ちて、足が床につきそうになった刹那、手がゴールに届きました。
「やった!!!」
と大声で叫ぶと、いつもはおとなしいその生徒も「おお、泳げた。苦しかった」とハニカミました。
教員生活18年間で、数々の子どもたちの成長を見届け、「感動場面」にも多くみさせてもらいましたが、これは1,2を争う感動でした。
つづく、、長くなりすぎましたね、次回が最後にします。
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