笑い方を思い出した子①
障害者と健常者の境とは非常にあいまいな気がします。
自分が健常者と思っている人にも何かしらの障害を抱えているケースもありますし、怪我や病気によってある日突然「障害者」になる方もいらっしゃいます。
特に発達障害や知的障害に関しては、知能検査で明確に区分できるものでもありません。
だからこそ、障害ー健常といった二項関係にはなり得ないのですが、とはいえ、自分がある日突然障害者となった方は、受け入れるまでにはすさまじいまでの「葛藤」があることは想像に容易いと思います。
今回から数回に分けて、私が出会った「中途障害」の子の葛藤についてご紹介します。
障害者の方が抱える心の揺れ動きを少しでも理解いただけると幸いです。
障害の受容過程とは
清水(2012)がいう「障害受容」とは
”障害を直視し、障害に立ち向かい、障害とともに生きることも事故の生き方の一つであると受け止め、生活していくこと”
です。
また、一般的な「障害受容」には5段階のプロセスがあります。
①ショック期・・・自分に何が起こったのか理解できない状態(長くは続かないと言われている)
②否認期・・・自身の障害を認めようとしない時期(内的な葛藤がある。リハビリなどに消極的なケースも)
③混乱期・・・「怒り」「悲しみ」「抑うつ」などが現れる時期(行き場のない怒りが周囲に波及することも)
④努力期・・・さまざまなきっかけにより、病気や障害に負けずに生きようと努力する時期
⑤受容期・・・障害をポジティブに捉えられるような時期
ただし、誰しもがこの5段階をスムースに経ていくわけではありません。
ある人は否認期が長引くことで、閉じこもってしまいなかなか前に進めないこともあるでしょうし、またある人は努力期と混乱期を行ったり来たりするかもしれません。
誰もが「受容期」に簡単に到達できるわけではないでしょう。
特に「思春期」という障害のない若者にとっても心的に大きく揺れ動く独特な時期に、障害と向き合うことになった人にとっては、我々の想像が及ばなくいくらいの心の葛藤があるはずです。
高等部から特別支援学校にやってきた子
その男の子は、中学生までは元気いっぱいの生活を送っており、成績も優秀で得意の水泳もかなりの腕前だったそうです。ある日、脳の病気で倒れてから、片麻痺となり、若干ではありますが記憶障害も抱えることになりました。
一般中学校から特別支援学校に入学し、本人はしばらく現実を受け入れられなかったようです。
「なんでこんなところにこなきゃいけないんだ」
といった発言を、周囲にはしていたようです。
私は直接の担任ではなかったのですが、「自立活動」の授業で週に1,2回程度関わりがありました。そして、私なりに「この子の笑顔を引き出したい」と常に思っていました。
私自身は、障害の受容過程を経てきたわけではないので本人の心の底の葛藤や辛さを理解してあげることはできません。
しかしながら、少しでも「受容期」に近づけるような支援を目指した。というと聞こえがいいかもしれませんが、目の前に「笑いを忘れた」とも思える子がいることが歯痒く、なんとかしたいと「おせっかい」丸出しで関わっていたのです。
ただ本当に「おせっかい」だったようで、毎日のように絡んでくるおっさん先生(私のこと)に対し、呆れを通り越して怒りをぶつけてくることもありました。
「ほんとにやめてくれ!めんどくせー!」
と言われることのはまだマシな方で、ほとんどが「無視」でした。
それでも私は、授業だけでなく、給食の時間などにも話しかけに行き続けました(当時はクラスをもっていない専門教諭だったので、朝や帰り・給食時間などには色んなクラスに行っては子どもたちと関わっていました)
高等部3年間のうちに、この子を腹から笑わせたい。そして、笑ってりゃ楽しいこともあるって伝えたい。
そんな、身勝手でお節介な思いが強くなったのでした。
つづく。。。
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