日本語のモダリティ/文献調べ 24-31

先日、聴覚障害の学生さんの声から支援について学ぶオンラインセミナーに参加しました。

差し障りないと思われる範囲で共有させて頂くと

・学生が情報保障を受けた経験も少なく、ニーズを言語化するのが難しい
・何を求めているか支援者にしっかりと聞いてほしいという思いもある。
・(支援者は)具体的に訊かないといけない。場面やパターンで切り分けて訊く。「あの人の話は聞きやすい」と言ってきたとしたら、その言葉の裏には何があるか確認する質問を投げていくといい。
・聞こえない学生が最初の一言を相手に発した時、その人がちゃんと受け止めて続きを言わせてくれる人なのかどうかを、学生はすごく見ている。
・(通訳の際に)要約されすぎると、論理を深め、自分の論理を組み立てる余地がなくなる。

といった内容で支援者サイドから聞こえない学生の声を聞きつつ、支援のあり方について、その難しさも含めて考えを深めていく時間でした。

そんな中で「モダリティ表現の伝え方」というキーワードがいくつか出てきました。恥ずかしながら「モダリティ」については不勉強ですので、今回いくつか論文を読みました。中でも、ほぼ初学者の私にとってわかりやすかった「日本語のモダリティ:「主観的」表現と「客観的」表現(早川,2012)から、「モダリティ」の概要について整理してみます。

目次

モダリティとは

モダリティ表現とは”肯定と否定の間の意味領域を担う言語資源”と定義できるようです。
例えば「彼は来る(肯定)」「彼は来ない(否定)」という断定的な言い方ではなく「彼はきっと来る」「彼はたぶん来る」といった言い方もあります。

このような中間的な言い方により、情報や人間関係や説得をうまく調整しているわけです。

モダリティの種類

モダリティを大きく2つに分類すると

・情報の確かさを表すモダリティ(モダライゼーション(modalization))ex.「彼はきっと来る」「彼はたぶん来る」
・行為を要求する程度を表すモダリティ(モジュレーション(modulation))ex.「それをすべきだ」「それをした方がよい」

に分けられます。

さらにモダライゼーションは「蓋然性」と「頻度」とに、モジュレーションは「義務性」と「意志性」とに分かれます。

モダリティには「程度」があります。例えば、「もしかして」より「たぶん」の方が蓋然性が高いし、「たぶん」より「きっと」の方がさらに蓋然性が高くなります。

主観的表現と客観的表現

「意味」や「程度」の他に、Halliday and Matthiessen (2004: 613-616)は、「主観的」「客観的」というカテゴリーも設けています。

モダリティ表現では「話者がそれを主観的判断として提示しているか、あたかも客観的な事実として提示しているか」の違いで分けられます。

所感

論文では、日本語表現としてのモダリティについて詳細に論じられていますが、ここでは割愛します。

聴覚障害者とのコミュニケーションにおいて「モダリティ表現」が言及されたのは、たとえば「程度」においては個人にストックされた情報と照合して表現を選択するはずですが、「聞こえる」「聞こえない」よって情報の受け取り方に違いが出てしまい、2者間(障害者と非障害者)で表現が適合しづらいからかなと思いました。

私は、知的障害者とのコミュニケーションの中で「程度」について問う際に、例えば紙に目盛りを書いて「どのくらい『痛い』?」といったような訊き方をすることがあります。グレーで尚且つ広い領域における「程度」は、言語表現だけで2者間の思惑を合致されるのは難しいです。しかし、われわれは会話の中で非常に多くのモダリティ表現を用いています。聴覚障害者とのコミュニケーションでは、そのたびに相手にとって理解し難い会話の状態を引き起こしている可能性があることを、理解しておかないといけないなと思った次第です。

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