メルマガを発行しました 20240530

天赦日の5/30にメルマガを発行しました。
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【誰が決めたのか ~自己決定の重要性と貴重性を考える~】

ある勉強会にて、講師の方のキャリアについてお話を伺う場面がありました。

その中で、ほんとにそうだな~と思った一節。

「『キャリア』は思い通りにいかない。思い通りにいかないことを、『どう思うか』が重要なのでは」

講師の方の多様な経験とその折々での前向きさとが凝縮された一言でした。

心理学には「リフレーミング」という言葉があります。事物・事象を捉える枠組み(フレーム)を変え、違う捉え方をすることを意味しています。

皆さんも1度は聞いたことのある話だと思いますが、コップに半分だけ入った水を「半分しかない」と捉えるか「半分も入っている」と捉えるかは(文脈にも依拠しますが)、捉え方の「枠組み」が違うというやつです。おそらく「リフレーミング」に近い話をなさっているんだろうなと思い聞いていました。

広く「キャリア」を見た時、自分もまさに「思い通りにいかない」ことばかりでした。

小学生の頃から憧れていた大学には、浪人しても合格できませんでした。
目標としていた教員にはなれたものの、地元で教壇に立つ夢は叶いませんでしたし、ずっと小学校の教員をやっていくつもりでしたが、特別支援学校に着任になるとは予想だにしていませんでした。
そして「教師一筋」を公言してきた自分がまさか起業するなんて、自分でも驚きです笑。
今の仕事では、「思い通り」なんて烏滸がましい言葉を使うことはありませんが、想定できないことがたくさんあるのは確かです。

若かりし頃は「リフレーミング」なんて知らず、思い通りにいかない現実を受け入れがいときもありました。

ただ、第一志望ではない大学への進学を決めたのは自分ですし、特別支援学校への着任を受け入れたのも自分ですし、起業しようと思ったのも自分です。
全ての「自己選択」が今の自分を形作っているのであれば、「思い通り」ではなかったかもしれませんが、「決めた通り」にはなっているのかもしれません。
そして、だからこその今であり、皆様とのご縁もあるので、思い通りにいかなかったことに感謝しています。

一方で、この「自分で決める」ことがとても貴重な経験であることにも気付かされます。

障害当事者の方の中には「自己決定」「自己選択」できないことへのもどかしさを語る方がいらっしゃいます。

「本当はAがしたいけど、周りが強くBを勧めるので、仕方なくBの道を選んだ」

社会にある数多の制約が「自己選択」の幅を狭め、進路・就職、生活上のさまざまな場面において、親や支援者が「こうしなさい」「ああした方がいいよ」「君にはこの道しかいまのところないよ」などと、「決めてしまわれる」ことが多くあるというのです。

保護者や支援者は本人の自立を願い「いい形」を模索しますし、本人も自立しようと努めるのですが、「どうせ自分では決められない」という思いは、いつしか「自分は何もできない」という否定的な思いに変わる瞬間もあるようです。
(こういった状態を心理学では「学習性無力感」といいます)

であれば、職場・家庭・学校においては、「多分Aがベターだけど、AかBか、本人に決めてもらおう」という姿勢が自立に向けた支援には必要なのかなと思います。「自分で決めたこと」だからこそ、やりがいや喜びが生じ、やりきる素地ができるとも思います。
そして決めた側の本人は、「自分で決めた」のですから、最後までやり抜く責任があるとも思います。

最後に付け足し。
私の場合、これまでの「自己決定」の裏には、親の理解や支援、友人の応援、妻の多大なる理解があったことに気づきます。なにか自分一人で成し得た気になってしまいがちですが、「選択できること」の重要さや価値、そして周囲の方々への支えに感謝せねばと思いました。

今回は「自己決定」「自己選択」について、とある講師の方のお話から考えてみましたが、いかがだったでしょうか。

何かしら、皆さんの気づきに繋がっていたら嬉しいです。

さて、我が街 熊谷市では夏の足音(轟音?)が聞こえるようになりました。
すっきりしない天気の日もありますが、体に気をつけながらお互い精進していきましょう!

ではまた!
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