ドラマの名シーンから考える「合理的配慮」の意味
民間事業者は、雇用の分野では2016年から、雇用以外の分野では2024年から「合理的配慮」の提供が法的義務となっています。
「合理的配慮」の字面の硬さからなのか、「とっつきにくい」「理解しづらい」「難しい」というご相談をいただきます。「難しい話を柔らかく伝える」のが私のモットーでもありますので、今回は「北の国から’84夏」名シーンである
「子どもがまだ食ってる途中でしょうが!」
を取り上げて「合理的配慮」の意味するところ、方向性について考察します。
補足:「子どもがまだ食ってる途中でしょうが」は、「北の国から’84夏」の名シーンです。
閉店時間を過ぎたラーメン屋さんで、店員さんがお椀を下げようとした際に、田中邦衛さんが激昂しながらこのセリフをいいます。
https://www.bsfuji.tv/kitanokunikara/story/sp_84.html
「合理的配慮」の原語
「合理的配慮」は、障害者権利条約にあった「reasonable accommodation」の訳語です。
権利条約の批准に向け、「合理的配慮」の考え方が、障害者基本法、障害者差別解消法、障害者雇用促進法に取り入れられました(ちなみに法律上では「合理的配慮」という言葉は用いられていません)。
「accommodation(便宜、調整)」が「配慮」と訳されていることに違和感を唱えた有識者もいらっしゃったようです。「accommodation( アコモデーション)」という耳馴染みのない言葉のニュアンスが「配慮」という言葉で示すと、誤解を招く可能性があるということでしょう。
一方で、「reasonable(リーズナブル)」は普段使いするので馴染みある言葉ですが、「 accommodation」同様に、reasonable=合理的、と訳すことは誤解を与える可能性もあります。
ここでは「reasonable」の意味を考え「合理的配慮」の本質に迫りたいと思います。
「合理的」とは
「合理的」を表す英語には、「reasonable」と「rational」があります。
rational
「経済合理的」や「目的合理的」といった文脈で用いられます。
「合理的」と聞いた際に、多くの人のイメージには「rational」があるのでは、と思います。
reasonable
「理に適った」「適理的(井上,2006)」というニュアンスがあります。
つまり、「reasonable accommodation」は、「理にかなった調整」と意味になります。
では、「理にかなった」とはどう言う状況なのでしょうか。
それが「子どもがまだ食ってる途中でしょうが」の場面で考えられるのかなと思うのです。
「北の国から」に学ぶ「合理的配慮」の本質
あの状況を紐解いてみます。
田中邦衛さんとしては「閉店時間なのは分かってるけど、子どもが泣きながら想いを吐露してくれるこの状況を理解してくれ。せめて、この子がラーメンを食べ終わるまで、待ってくれ」という思いがあったのだと思います。
そこで出たのが
「子どもが食ってる途中でしょうが!」
という言葉です。
これは「目的合理的(=rational)」な言動です。
一方、店員さんとしては「早く食べ終えてよ。残業代も出ないのに、いつまで付き合わされるの」と思って、お椀を下げようとしたのでしょう。
これは「経済合理的(=rational)」な行動です。(残業代が出るのかどうかはわかりませんが)
「rational的」な主張により「後味の悪さ」が残ってしまう例かなと思います。
その「後味の悪さ」は「田中邦衛さんの事情を店員さんは知らんし、店員さんの事情を田中邦衛さんは知らん」という、相互理解のない状況が生みだしているのでしょう。
reasonable的に名シーンを考察する
では、あの場面を「reasonable的」に進行していたら、どうなっていたのでしょうか。
邦衛さんは
「子どもが、、、今、、、辛い想いを、、、ようやく吐露してくれている。。せめて、、、せめて、、この子が食べ終わるまで、待ってくれないですか」(田中邦衛氏のモノマネをしながら書いていますw)
と事情を伝える。
店員さんは
「そうですか、、ただこの後、片付けや明日の仕込みもしないといけないんです。私の退勤時間もありますし。」と帰ってもらいたい理由を伝える。
そうすると「食べ終わるまで待つのは、何時になるか分からないので無理ですが、あと5分ならお待ちします」という、新たな結論が生まれていたかもしれません。
合理的配慮を実現するために必要なこと
新たな結論とは言い換えると、「理にかなった調整」です。そして「理にかなった調整」を支えるのは「対話」です。
「reasonable accommodation」が「rational accommodation」でないのは、そこに「対話」があるからだと思います。
だからこそ、「合理的配慮」(差別解消法)では「建設的対話による相互理解」が求めらているのかなと思います。
法的義務だからといって一方的に要求するのは本質からズレるでしょうし、はなから「それは無理、できない」と突っぱねるのも違います。
「対話」が生み出す「予期しなかった豊かな答え」ってものを探ってみる。障害者雇用の現場においても非常に大切です。
「子どもがまだ食ってる途中でしょうが」の場面を考えながら考えたことをお伝えしました。
参考:「合理的配慮 -対話を開く、対話が拓くー」(川島、星加,2016)
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