前回の記事では、「平等と公平の違い」について、著名なイラストを元に考察しました。
お伝えしなかったのは、「相手の困り事、困難さ」を知った上で関わるのと、知らずに関わるのとでは、平等や公平という一見フラットな人間関係も場合によっては無視・無関心に繋がってしまうということでした。
続く今回は「見えない葛藤」と題して、障がい者の方の「内側」に迫ってみたいと思います。
氷山モデルで考える「内側」
特別支援学校教員時代に、研修で聞いた話が今も障がい者の方とはもとより、人と関わる上でのベースになっています。
障害のある人たちが表出している部分(行動、言動など)の背景には、心の中でのさまざまな要因が複合的に絡み合っているという理論です。
例えば、みんなの前で1分間だけスピーチをするという課題を課した際に「私、そんなことできません」と、頑なに拒む人がいたとします。
その方の頑なさに障害名と重なり合うと、途端に関わる人たちは「障害特性」としてその人を捉えることになります。
しかし、表出している行動面の一部に「障害特性」が影響している場合はあっても、全部ではありません。
そこには、その人がこれまで経験してきたこと、重ねてきた思いや気づき、周囲の関わりや環境なども影響してきます。
私はここはとても大切だなと思うのが、「障がい者」は「障がい者」である前に「人間」ということを忘れてはいけないと思うからです。
たとえば「自閉スペクトラム症」の診断を受けた人には、時に「強いこだわり」が出る場面があると思います。だからと言って「強いこだわり」があるから「自閉スペクトラム症」だと勝手に周りが判断すると、「障害だから仕方ないよね」という思いと共に、関わる範囲が限定的になってしまうのです。

共に働く人たちが「行動変容」に関与できる領域
他者の気づきや記憶は変えられません。認知の歪みは「認知行動療法」などで変容していけますが、一緒に働く人たちにそういった専門スキルを求めることは困難です。
障害特性も、服薬やトレーニングで改善が図れますが、職場の人たちが医学領域のサポートをすることはできませんし、SSTなどを業務に組み込むことも現実的ではないでしょう。
我々のように共に働く人たちがサポートできるのは「環境整備」であったり「状況の把握」であると思います。
つまり、人が行動を促せるような精神面や構造面での配慮をすることです。
例えば、情報の伝え方を工夫するためにイラストを用いて聴覚・視覚情報の両面を用いるとか、作業に集中しやすいように、余計な情報が入らないような環境を提供するとか、もし不適合な行動が現れた際も「障害だから」ではなくて、「何が背景にあるのか」を一緒に考えてあげるとかです。
「あ、私には無理、だって障害のことよくわからないもの」とか「なんだかよくわからないので、とにかくやれることは全て支援するわ」といった過剰な放任か過剰な支援というのは、もしかすると「障がい」というバイアスが強く影響しすぎているのかもしれません。
共に働く上で、相手の「内側」。氷山モデルでいう水面下の葛藤を知っておくことが「公平」に関わることの基礎になるなと考えます。